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MAA(マア)は日本の女性歌手、作詞家、デザイナー、ディレクター、プロデューサー、コラムニスト、ブロガー。 == 来歴 == === 生い立ちと初期の音楽活動 === 神奈川県横須賀市で、アメリカ人の軍人だった父と日本人の母との間に生まれる〔 彼女には1つ年上の兄がいたが、2007年に事故で亡くなった。以来彼女は必ず毎年兄の誕生日や命日に2人の子供のころの写真をブログやInstagramにあげている。 愛犬が2匹、オスのリオンとメスのセイラがいる。 タトゥー 彼女はタトゥーを全身にいれている。右腕の流れ星のタトゥーは印象的で兄の死後に兄が星になったという意味で入れたのではないかとファンの間では伝説となっているが、彼女がタトゥーをいれた時期は18歳〜21歳の間である為、流れ星のタトゥーの意味は定かではない。 彼女には10年婚約していた彼がいたが交通事故で亡くしている。彼女のお腹には彼の星座タトゥーがはいっている。 幼少期〜MAA 彼女は幼い頃から歌手を目指していた。1、2歳頃にスティーヴ・ミラー・バンドから音楽を聴き始め、3歳からデフ・レパード、スコーピオンズなどのロック、シンディー・ローパー、マドンナなどのポップスも聴き始めた。邦楽は3歳から聴き始めたが、最初に好きになったのは女性ディオWinkで、一緒に歌う子を自らオーディションで決めて、遊んでいた。音楽の趣味は父からの影響がある〔。 高校卒業後、18歳から音楽事務所のスタッフとして働き始めたがMAA自身の才能を感じた事務所社長のすすめをきっかけに音楽活動を開始する。サウンドは歌謡ロック、見せ方はヴィジュアル系というスタイルのロックバンドMarBellのボーカルとして、2008年5月3日に行われた『hide memorial summit』にてデビュー、初ライブを行う。ちなみにそのステージが人生で初の人前のパフォーマンスだった。それを知らなかった関係者は彼女の動じない根性と堂々としたパフォーマンスに度肝を抜かれたという。 ステージで披露した曲は「最果ての灯」という、どこかで聴いた事のあるような懐かしい曲だが、決して誰かの真似というわけではなく、しっかりと彼女の曲になっていた。その後はライブハウスなどでパフォーマンスをして人気を得た。なおMarBellでは「Mar」という名義で活動していた。MarBellの人気に目を付けた現在の所属する音楽事務所EXIT LINEに、バンド解散後、スカウトされ、MAAとして契約を結んだ〔。 MAA〜gitch MarBell解散後、そしてMAAソロデビューとしてのインタビューで「ヴィジュアル系とは無縁でなにも分からず必死にやったバンドだった。やりたいことだったかといえば少し違ったたけど最高のメンバーだったから出来た。これからは“今”やりたいことをやる。また違うことをやりたくなったら違うことをやるんだと思います。それが私なりの音楽へのリスペクト方法かも。」と語っていた。 ヴィジュアル系からダンスミュージック系になり、3年の活動を経てまたMAAの音楽活動を休止した。やりたいことしかやらない。という彼女の主義、彼女の気ままな世界観は誰もとめられない。 MAAの活動休止後、自身でgitch(ジッチ)というレディースブランドを立ち上げデザイナー、ディレクター、プロデューサーをつとめた。 奇抜で誰も作ったことない柄や形にこだわり世界でたった1つにこだわった彼女の作品はファンならず、多くの女性から支持を得たブランドとなった。 2シーズンをやり終えたころで彼女は27歳になっていた。ずっと28歳になったらやりたかった夢があるとインタビューなどでよく語っていた彼女はしばらく日本からでて旅にでた。そしてgitchから引退した。その後gitchは彼女なしで起動していない。 世界を旅して28歳で日本に戻ってきてアロマ、オーガニックを趣味としている。 2014年に長年の友人であったthe SAMOSのM.I.Tと電撃結婚をした。 2015年に第一子を出産した。Instagramで息子を公開しリーヴァイ(Levi)と名付けた。 現在は母親、妻でありクールでありつつも質問には珍回答でかえしたり、戯けたキャラクターを魅せていたMAAだけに突然の結婚は衝撃となった。 現在、オーガニックコスメの開発を進めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「MAA (歌手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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